今生はBL道楽

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ぼくたちは永遠に暴力を手放すことができないのか/久間よよよ「錆のゆめ」

「かわいい、萌える」と飲み込んでしまってはいけない、と思いながら読んだ久間よよよさんの「錆のゆめ」。前回の記事*1を書きながら、思い出したので、紹介します。

錆のゆめ 上 (Canna Comics)

錆のゆめ 上 (Canna Comics)

 
錆のゆめ 下 (Canna Comics)

錆のゆめ 下 (Canna Comics)

 

現在、続編「錆のゆめ 右」がコミックシーモアで独占連載中。「錆のゆめ 左」は他の電子媒体でも読めます。

あらすじ

主人公・進藤の勤める企業ではセクサロイドを開発している。進藤自身はそのことにノリ気ではないとはいえ、「ここにいる時点で同類項だろ」と同僚に指摘され言い返せずにいた。

そしてある時、進藤は同僚からセクサロイドの試作品・聡夫(としお)の育成を押し付けられる。セクサロイドといっても聡夫はもともと人間であり、とある事情で改造され、いまここにいるのだった。その事実に違和感を覚えながら、進藤は聡夫とかかわりを持つようになる。

「君にできることがあるのかい?」

としおさんは最初、性行為のためだけに存在させるため、感情表現も知性もほぼなくなるよう脳をいじられた状態で登場します。正直「なしでは…」と思います。

進藤は同僚から、としおさんの検査をするように言われ、サラリーマンよろしく反発しながらやりはじめるわけですが、その結果、進藤はとしおさんが何も思っていないわけではないことに気づきます。

たびたび社内の誰かからひどい扱いをうけて進藤のところへやってくるとしおさん。進藤は特別に大切にするとも違う、なんともいえない距離感で、淡々と接し、言葉を教え、モラルや常識――自分がさらされている暴力がどういうものなのか、暴力を振るわれた場合に誰が悪いのか、ということを教えていくのでした。

こう書くと、一見、心温まる話のようですがけしてそうではないと思う。

どんなに言葉を、常識を、モラルを再び教えても、元あったとしおさんの人格や人生は戻ってきませんし、進藤はとしおさんに対してできることはあまりありません。償うことも時間を元に戻すこともできない。身勝手に奪われた生について、その事実の残酷さや重さを背負うこともできない。そのうえで進藤は自分に何ができるのか、過剰な正義感からではなく、目の前のとしおさんという存在にどう向き合うか、考えはじめます。時に「ただの独占欲」と言われつつも。

作中で、進藤はいろんな人から「あれはもう人ではない」「肉と鉄の塊だ」と言われます。でもそのたびに「それはとしおさんが決めることだし、自分もまたとしおさんをそうは思っていない」と答える。としおさんの気持ちを代弁するでもなく、すべてとしおさん自身が決めるべきことだとしながら、動いていきます。

進藤ととしおさんは確かにほのぼのと暮らし始め、その様子がかなり尺をとって描かれるわけですが、根底に流れる残酷さ、としおさんがさらされた暴力、欲望が生み出した罪はずっと消えないのだと思います。

それでも未来に向けて、何かひとつでも、悲しいことを減らせたらいい、そういう小さな営みの話です。元に戻せないかわりに、償いとは違うかたちで積み重ねていくもの。そのことを描いた話だとわたしは思います。

ただ

良かったから読んでほしい! とも言えなくて、それは物語の中で残酷なことが起こっていて、その暴力を読んで、読んだ人が傷つかないとも限らないからです。

この本がもっと違う絵柄だったら、もう少し違った紹介だったかもしれない。本当に絵がかわいくて、テンポや表現もわりかしコミカルなので、砂糖菓子だと思って口にいれたらものすごい苦みがあった、みたいなかんじなのです。

わたしは普段BLをおいしいおいしいって食べているわけだけど、それはいったいどういうことなのか、という問いかけにはまってしまう。だからといって「としおさんはかわいそうだ」と言ってしまうのも、違うのだと思います。進藤もそれは絶対言わないしな。

好きだな、と思うのは、進藤が聡夫を「としおさん」と呼び続けること。距離があるようにも思う「さん」という敬称に、ただひとりの誰かと向き合う気持ちがつまっているようにも思うのです。